漢民族の伝統衣装「汉服」の復活:中国の若者たちの文化復興運動

    1. 中国歴史・民族

    漢民族の世界人口は約13億、全世界の約19%、中国全人口の約91%といわれています。古代中国の周の時代から漢民族が日常生活で着用していた「汉服」(hàn fú;漢服)は、17世紀以降失われてしまったのです。

    中国漢民族の伝統衣装「汉服」の復活

    古代中国の「汉服」の起源とその消失

    なぜひときわ長い歴史を有し、民族の人口としても世界一でもある漢民族の伝統衣装が失われてしまったのでしょうか?

    その理由には中国の複雑な歴史が関係しています。中国では歴代数々の王朝が中国全土を支配してきましたが、その広大な領土は度々侵略の危機にさらされてきました。

    明王朝までの時代には、漢民族の伝統衣装である「汉服」は確かに存在していました。漢民族のその服飾制度は周の時代から明の時代に至るまで、基本的特徴には大きな変化はありません。

    しかしある時、重大な変化が生じます。17世紀に「满族」(mǎn zú)を中心に構成された清王朝は「剃发易服」(tì fā yì fú)と呼ばれる国民に衣装と髪型の変更を強制することで、徹底的な漢民族文化の排除を図りました。

    「剃发易服」について

    辮髪(べんぱつ)とは男子が頭髪を剃り、後頭部だけを長く伸ばして編み、背後に長く垂らす髪型のことです。 辮髪の辮という感じには「編む」と同じ意味があり、 北方狩猟民である満州人(满族)の風俗でした。

    満州人の建てた王朝が清です。清王朝は1644年、北京に入城すると、まず占領地で降伏した漢民族に服従の証としてこの髪型にすることを強要しました。

    その後、満州人の勢いは止まらず、他の都市をも侵略していきます。清王朝で実権を握っていた叔父のドルゴンは、1645年に南京を制圧して中国本土をほぼ統一すると、ただちに辮髪令を定め全国にその徹底を命じました。

    「頭を留める者は髪を留めず、髪を留める者は頭を留めず」と書かれた制札がかかげられ、僧侶と道士を除き、10日以内に弁髪にせよという厳しいものでした。漢人は各地で反発しましたが、抵抗する者は武力で弾圧されました。

    「剃发令」と「易服令」

    この「髪型を満州人と同じものとすべし」という命令のことを「剃发令」(tì fā lìng)といいます。中国語で「」とは「頭髪や髭などを根元から切り落とす」ことを意味し、「」とは髪の毛のことです。

    そして、この時期に発せられた命令は髪型だけでなく、服装をも含むものでした。「服装を満州人と同じものとすべし」という命令のことを「易服令」(yì fú lìng)といいます。

    中国語で「」という言葉には「変える、改める」を意味があり、現在でも中国語の「」という言葉には「衣服・着物・衣装」の意味があります。

    中国語ではこの「剃发令」と「易服令」と合わせて「剃发易服」(tì fā yì fú)と呼んでいます。

    「汉服」が復活しなかった理由

    清王朝の支配下では、国民は全て満州人の髪型と服装をしていなければなりませんでした。清王朝は中国大陸を1644年~1912年の間支配します。この268年以上の間、国民はずっと満州人の髪型と服装をしていたのです。

    やがて弁髪は、ごく自然な中国の風俗として定着するようになりました。中年世代にはおなじみの日本の漫画「キン肉マン」(1979年~1987年まで週刊少年ジャンプで連載)に登場する「ラーメンマン」という人物の髪型がまさに辮髪です。

    この人物の額には「中」という文字が記されています。この描写はまさに「中国人=辮髪」というイメージを形にあらわしたものでした。

    その後清王朝は打倒され、次の王朝である中華民国に取って変わられます。この時に満州人の支配は終わりました。

    ここで「汉服」の復活のチャンスが訪れるのですが、事態は別の方向に向かって進んでいきます。人々の心は近代化へと向かっていたのです。国民の思想は西洋化に向かい、西洋風の服装に変わり、「汉服」の着用が復活することはありませんでした。

    こうした経緯があり現代の漢民族は、自分たちが過去にいったいどれほど美しい民族衣装を有していたかを徐々に忘れてしまっているのです。

    漢民族の衣装

    民族衣装を持たない民族

    漢民族は世界中で唯一、独自の民族衣装を持たない民族となってしまったのです。「えっ、そんなことないでしょ。中国にはチャイナドレスがあるでしょう」と思うかもしれません。

    結婚式などの正装としてあつらえたり、写真撮影の衣装として着用されたり、外国人ならお土産品として購入したりしている「旗袍」(チャイナドレス)・「長衫」(チョンサン)・「馬褂」(マァグァ )はいずれも漢民族の衣装ではありません。

    これらの衣装はいずれも満州人の民族衣装を改良し発展させたものです。これらは「中国の衣装」と呼ぶことは間違いではありませんが「漢民族の衣装」ではありません。

    中国では清王朝の滅亡以降、近代から現代に至るまで、民族復興などにはまったく関係のない服装が主流でした。そのため「汉服」は、道教や仏教・奥地の少数民族の服装の特徴に、そのわずかな名残を残すのみとなってしまっていました。

    現在では重要な祭祀や記念行事、民俗的な祝日などで「汉服」の部分的な要素を垣間見る事しかできなくなっています。

    「汉服」の消失を嘆く声

    漢民族の中には、漢民族の伝統的衣装が失われつつあることを嘆く方がいます。

    wǎng shàng céng liú chuán zhe yì zǔ tú piàn,shì hán guó hé rì běn nián qīng rén de chéng nián lǐ,

    网上曾流传着一组图片,是韩国和日本年轻人的成年礼,

    以前ネット上で韓国と日本の若者たちの成人式の写真が広まったことがあります。

    xiān míng měi lì de mín zú fú shì、zhì qì wèi tuō dàn zhuāng zhòng rèn zhēn de liǎn páng ràng rén shēn sī

    鲜明美丽的民族服饰、稚气未脱但庄重认真的脸庞让人深思

    鮮やかで美しい民族衣装、幼さが残るもののまじめで真剣な表情に、私達は深く考えさせられました。

    yuán lái chéng rén lǐ kě yǐ shì zhè yàng de,nà wǒ men zhōng guó de chéng rén lǐ qù nǎ le?

    原来成人礼可以是这样的,那我们中国的成人礼去哪了?

    本来成人式とはこうであるべきはずなのに、私達中国の成人式はどこへ行ってしまったのでしょう?

    汉服の復興運動

    「汉服」の復活と漢民族文化の復興運動

    21世紀初めになり国力が上がるにつれ、人々はようやく伝統文化の優れた部分に目を留めるようになってきました。ある人々は「汉服」の研究を重ね、漢民族の伝統行事と伝統衣装の復興のために、自ら「汉服」を着るようになってきたのです。

    汉服」を身にまとい、漢民族の伝統的行事・祝日行事・民族衣装・伝統楽器などを復興推進させようという運動を「汉服运动」(hàn fú yùn dòng)といいます。そして、その一端を担っているのが若者たちです。

    成人式での「汉服」の活用

    たとえば河北省のある町の学校では、2015年10月に「成长(chéng zhǎng)、成人(chéng rén)、成材(chéng cái)」をテーマにした成人式が行われました。

    参加者は2000余人、そのうちの300人以上が伝統的な「汉服」を着用しました。伝統的な儀式を伴って行われたこの町で初めての大規模な「汉服」成人式でした。

    古代儀式の取り入れとその意義

    古代中国では「」()が重んじられていました。ところが残念なことに現代中国では、礼節がほとんど失われています。

    こうした古代儀式を取り入れた成人式が大々的に取り上げられることで、漢民族がいかに魅力的な文化を有していたのかを改めて再認識してもらうことが狙いだったようです。

    ただ「汉服」を身にまとうだけでなく、古代中国人が重んじていた「」の文化を若者たちが理解できるように教えられました。「」を重んじることによって、より一層責任感のある大人へと成長しようという意識を高める事ができたと、皆の感想はおおむね好評でした。

    学生主催の「汉服」クラブと文化復興

    北京師範大学実験中学には「汉服」を着用して書道をしたり、祝日行事に参加したりする学生主催のクラブがあります。

    文学クラブ・考古学クラブ・音楽クラブなどの他の活動と比べると、「汉服」クラブは学生たちを強く引き付け、容易に入る事ができ、しかも活動の幅が広いと人気です。

    また部員の大部分は「汉服」推進活動に参加していることによって、より強い責任感が芽生えてくると感じているようです。

    汉服运动」の成果もあり、「チャイナドレスは漢民族の伝統的な服装ではない」という認識を持つ人が急に増え、インターネット上で「汉服」の同好会や、それに関連する専門店が現れるようになりました。

    この「汉服」だけでなく、多くの人が伝統文化に興味を抱くようになっており、それを音楽やアート、文学などの作品に取り入れる試みがよく見られます。

    汉服の問題点

    「汉服运动」が面する壁

    ある程度の成果を挙げた「汉服运动」ですが、2020年になると中国の街中で「汉服」を来ている人を見かけることが少なくなりました。

    2020年8月に、中国の検索エンジン「百度」に次のような記事が掲載されました。

    wèi shén me rì běn rén chuān hé fú huì bèi kuā, zhōng guó rén chuān hàn fú bèi jiù shì “qí zhuāng yì fú”?

    为什么日本人穿和服会被夸,中国人穿汉服被就是“奇装异服”?

    どうして日本人が和服を着るともてはやされ、中国人が漢服を着ると奇抜な服装と捉えられてしまうのか?

    この記事は、中国の街中で「汉服」を着て歩いていると、周囲から変な目で見られてしまうという中国の現実を伝えています。中国の街中で「汉服」を着ていると、コスプレしているという印象を持たれてしまいます。

    その理由として、記事の冒頭部分で取り上げたように、中国では「汉服」は清王朝以降ほとんど着る人がいなかったため、現代の中国人には「汉服」に対して馴染みがなく、「汉服」を着ている人に対して違和感を覚えてしまうということでした。

    中国の「汉服」と日本の「和服」:世間の反応の違い

    一方日本の「和服」の場合は、昔の服装文化が現在にまで脈々と受け継がれてきたものであり、文化的な蓄積が漢服とは大きく異なると説明されています。

    確かに日本で「和服」を着る人はそれほど多くはないとはいえ、「和服」を着ない時代というものはありませんでした。

    令和の時代になっても「和服を着る伝統」はしっかり受け継がれています。日本の街中で「和服」を着ていたらとても目立ちますが、「奇抜である」とか「コスプレしてる」などと思われることはありません。

    日本には、伝統的衣装を受け入れる土台が形成されているということでしょう。

    中国で安心して「汉服」を着られる場所

    中国では、各都市に「古镇」(gǔ zhèn)というものが存在します。「古镇」とは直訳すると「古い街」という意味です。

    中国の歴史はとても長く、歴史的価値のある建造物が多く存在します。「古镇」ではそうした古い街並みを残していたり、または昔の雰囲気を再現する形で構築されています。

    路面が石畳であったり、街路樹が柳になっていたり、「昔の中国の雰囲気」を守っているのです。

    外資系のスターバックスやケンタッキー・フライド・チキンであっても、「古镇」の外観を損ねることがないように外装に中国式になっています。

    こうした場所でなら、「汉服」を着ても「奇抜だ」とか「場違いだ」などと思われることはありません。「汉服」を着て写真撮影するととても「映える」ので、SNSにアップロードする方は非常に多くいます。

    中国で「汉服」を着るには?

    古镇」付近であれば、普通に「汉服」を貸し出してくれるお店があります。もちろん購入することも可能です。旅行で中国に行き、インスタ映えする写真を撮影したいということであれば、レンタルで充分でしょう。

    購入を考える方も、先にレンタル店舗で色々な「汉服」を試着してみることをお勧めします。一口に「汉服」といっても、実は各時代の服装にはそれぞれ異なる特徴を備えています。

    伝統的な「汉服」といわれるものであっても、漢・唐・宋・明の時代のデザインはそれぞれ異なり、それとは別に現代中国人の日常生活に相応しい実用性とデザインを備えた改良型もあります。

    レンタル店であれば、色々なタイプの「汉服」を試着して自分に合ったものを探せますし、「汉服」と合わせる靴などのアイテムも一式借りることができます。

    値段は、安いもので50元(1,000円相当)、高いものになると1,000元(20,000円相当)のものまであります。

    まとめ

    今回は、漢民族の伝統的衣装の「汉服」について取り上げました。漢服について知ろうとすると、中国の複雑な歴史についても知識を深めることができます。

    古镇」に行き、漢服を着ながら「昔の中国」の雰囲気に浸ってみるのも良いかもしれませんね。

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